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2010年9月

2010年9月27日 (月)

稲刈り直前2010

   稲刈り直前まできました。田植えから3カ月経ち、順調です。たぶん!?

今年は6月の長雨のせいか、水が切れるということなく潤沢にありましたので、水管理はし易かった。ただ、毎年のことですが、あぜ草の伸びるころになると、各自で刈り払するのですが、その草が取水口に引っ掛かり、炎天下なのに水が全く入っていないことが良くありました。なるべく毎日行くようにはしていますが、適時適量は難しいですね。

そして今年は稗(ヒエ)に悩まされました。まだ穂の出る前、伸びきっていない稲の中から、見たくない穂がひょっこり、見なかったことにしてほっとくと、気がつくとびっしり。このままでは稗の田んぼになると思い決死の覚悟で稗取りに入ることに。そう、今年は熱中症を毎日報道しているさなかの8月、腰にペットボトルを下げて、麦わら、メガネ、腰袋(取った草入れ)を装備して約1週間入りっぱなしで草取りに励みました。原因は大体分かっています。昨年休耕田で、何も植えていなかったので、草が伸び放題で、その草の種が大量に落ちていた。そして、代かきが悪く高低があり、高い処に水がかかっていなかった。そして、水を切らしたりした水管理不足といったことだった。今年は手間をかけなかったがゆえに、大きな手間がいったという、いい教訓になった。

更に今年は、穂の出たころに黒い芋虫が大量に見つかる田んぼがあった。ここは低い草だがたくさん生えていて、除草剤の効く大きさではないのでほっといたのですが、これに芋虫がついたようです。調べてみると「アワヨトウ」という虫で、小さい時は茶色で目立たなかった。大きくなって黒々して大量に見つかったというものだった。緊急防除で粉剤散布でなんとか駆除できましたが、これも結局は雑草管理不足と言ったところでしょう。

今年もいろいろありましたが、地域の精米所での刈り取りを依頼し、稲刈り10/14に予定を入れました。後は台風が来ないことと、ウンカなどの虫が入らないことを祈るだけですね。

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8/2順調ですね。

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2か月目の8/26 しっかり伸びてきました。日差しを浴びて、伸びが早い。

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8/28いよいよ開花!

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8/30穂がしっかり出てきました。

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8/31全てに白い花がついています。

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9/10実が入ってきて、少し垂れてきました。

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9/23葉の色も抜けてきて、実もほとんど入っているようです。

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一本の穂は、9本に分かれ、一分かれに4個~9個の米がついています。

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一本の穂に46個~95個の米がついていました。

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まだ、青い未熟米はありますが、良くできています。もうすぐですね。 

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稗がツンツンと出てきてます。これがこの後びっしりと生えました。とても写真では見せられません。

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こいつが「アワヨトウ」です。全員で葉を食いつくすそうです。見つけた時にはそこら中にいたので、なんかゾッとしました。

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風のない、日の出の時間に散布。芋虫は全く見なくなりました。無農薬栽培は難しいのです。

やっていないですけど(^-^;

 

2010年9月19日 (日)

「たかもり」騒動

「たかもり」が帰ってきたことで、勢力争いが勃発。

久しぶりに帰ってきた「たかもり」であったが、農場内は異様な雰囲気に。わずか1年半離れただけですが、残った牛たちは順位が変わっていました。もともとNo1であった「かほ」が、最年長だったので廃用で出て行ってしまったので、それぞれ順位が上がってしまった。そこへ帰ってきたもんだから、お互い譲れず格闘に発展。

帰ってきた次の日、久々の運動場へ出してやると、みんなから「あなたは誰?」と追い回され、とりあえず逃げ回る。皆以前からいるので知っているはずなんですけど、体格が変わってしまったので見間違えたのかも。

そして、さっそくNo4の「はるみ」が手合わせに。「はるみ」は青森出身で、体こそ我が家で一番小さく、いちばんおとなしく人懐っこい牛であるが、気は強く何にでも向かっていく牛です。激しい頭付きで格闘の末、「はるみ」のツノを折る負傷で決着しました。しばらくは興奮が冷め上がらない様子でしたが、もうその日は手合わせることはありませんでした。流血していましたが、興奮のあまり近づけないので、ほっときましたが、痛々しそうでした。折れたツノがむなしい。

続けて次の日、「かずみ」が手合わせに寄ってきました。「かずみ」はNo3で、気はとっても弱いのですが、順位は高いのです。負けず嫌いでしつこいようです。確か出て行く前は、お互い順位が拮抗していたと思うので、お互い譲れないようです。でも「たかもり」は強いです、全然押し負けていません。ぐいぐい押しこんでいて、やっぱり貫禄がありますね。で、この後も何度か手合わせし、「たかもり」の圧勝なのですが、諦めきれない「かずみ」がついて回るのに「たかもり」は逃げ回っていました。

あとNo1、No2がいるのですが、現在乳飲み子がいて、運動場を二分した柵の向こうにいるので、みているだけでした。また近々、今度はNo2と巡りあわせです。

でも、貴重な基礎牛なのにこんなことでいいのかな?まあ、ケンカするだけ元気で、自然な農場だということにしておきましょ!

「たかもり」 久々の運動場、待っていたものは、「あなたは誰?!」攻撃。

「たかもり」 勢力争い勃発。 「はるみ」と格闘。後ろから来る「はるみ」を「たかもり」が迎え撃つ。ぐいぐい押しこんでいってます。まわりはお祭り騒ぎで、「ともみ」は私のところに報告に何度か来ますね。

「たかもり」強し 「はるみ」負傷で決着。ツノからの流血が痛々しい。ツノの外皮が取れて、芯がむき出しています。折れて落ちてるツノを、「ともみ」がクンクン匂ってますね。

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折れたツノ、なんかむなしい。

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流血が・・・   

「たかもり」 勢力争い続き No3の「かずみ」と格闘。全然押し負けていないですね。強いわ!

後ろで流れているのは、ミスチルの「イノセントワールド」ですが、たまたま携帯で聞いていたときでしたので、そのまま入ってしまいました。

2010年9月18日 (土)

帰ってきた、たかもり

たかもり号が帰ってきました。

たかもりは、次の種雄牛を造成するため、高原町の畜産試験場へ行っていました。

http://usi-cow.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-3cad.html

受精卵移植技術を利用したもので、20個の受精卵をとり、地域内の母牛に移植して生まれた子を種雄牛にするもの。我が家から出て行ったのは、一昨年の12月のことで、もう1年半が過ぎてました。その間、「睦」が「茂勝王」として種雄牛になって高鍋町の家畜改良事業団に行き、他の種雄牛と同様に試験交配をし、そして口蹄疫でこの世を去って行きました。そのことは知らないでしょうが、「たかもり」自身も結構危ない所にいたようなものです。よく、無事で戻ってきてくれました。

家を覚えてるやろか、オレとか、他の牛たちとか、結構気になるところでしたが、トラックから下りてくる時も、繋ぐ時も意外と落ち着いていました。初めて、と言う雰囲気ではなくて、「なんか久々やわぁ」みたいな感じ。でも、こっちはというと、「えらい変わったなぁ」という感じ。出て行く時は、出産後だったので結構すっきりした体格でしたが、今は体格が一回り大きくなって、足や蹄も太くなった様子。もう見た目は「あなたは種牛か?」といった貫禄みたいなものを感じました。あの事業団に行って、本物の種雄牛を見たときと同じ感じを受けました。行くところへ行くと、なにか洗脳させられるのかな?

「たかもり」の今後は、基礎牛としての扱いは継続します。受精卵を取った後は好きな種を指定すれば、それを種付けして返すということだったので、現在お腹にはあの「安平」が付けてあります。当然オスが生まれれば、種雄牛候補、メスならば我が家で保留します。というか、とんでもない血統のメス牛になってしまいますので、これも結構期待です。う~んどっちがいいかな~。

で、早速問題が。エサをあまり食べない。というか、なんか選んでいる感じ。┐(´д`)┌ヤレヤレ。稲わらを残している。結構いいものを食べてたのかな?あの体格って単なる食べすぎか。でも徐々に慣らすしかないね

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トラックから下りてきて、我が家へ。

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がっしりした体格に、「あんたは種牛か?」

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ここはいつか見たような?この人誰だっけ?あ~腹減った~

2010年9月10日 (金)

「みなと」のセリ市

都城もセリ市再開しました。8日~11日の予定で行われ、みなとは2日目の9日出場。初日はは盛況だったらしく、中には最高160万円を超える値がついたのがいたそうです。購買者は児湯の方と聞きました。さぞかし、セリボタンを押す手に力が入ったことでしょう。

今日2日目はというと、スタートして8番目にして105万円のセリ値がつき、どよめきが。今日も高値が予想されましたが、徐々に値が落ち着き、1000円/kg位が相場になって行きました。それでも、メス狙いの相場が続き、メスのほうが高いというオスメス逆転が起きていました。やはり児湯で生産された「忠富士」に引き合いが集まっていました。ちなみに105万円は「忠富士」×「安平」×「糸秀」×「安平」の血統で412kgでした。

そして我が家の「みなと」はと言うと、繋ぎ場でいい子にしていて、「私の体をみて!」とばかりにじっとポーズをとっていました。なので、見ていく方も多く、多少期待して、セリに臨みました。結果、体重で395kg、セリ値で774千円という高額で購入していただきました。血統は「福之国」×「平茂勝」×「第五隼福」×「第20平茂」」でいかにも福之国の幅で、平茂勝の長さ、体高を持って生まれた体格でした。性格もおとなしく、そして良く食う子なので、すぐに種付けしてあげたい状態でした。購買者はというと、やはりJA尾鈴の方でしたので、行って即戦力になってもらえたらな、と思いました。どなたが買われたのかな~

「みなと」はというと、乳飲み子のとき、少し下痢をしたぐらいで、健康優良児でした。獣医さんにも1回もかかっていない状態です。そして、「こよみ」は三股町の品評会にも出場しており、成績こそありませんが、いい子を産むことと思います。

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毛刈りもツメ切りも自分でしてあげました。

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わたしのナイスバディーを見て頂戴!

2010年9月 7日 (火)

種雄牛だった、「福桜王」 と 「茂勝王」

口蹄疫終息宣言がなされた数日後、一通の封筒が届いた。宮崎県家畜改良事業団からだった。中身は、挨拶文と、在りし日の2頭の写真だった。

挨拶文には、殺処分に至った経緯と、その殺処分までの間、・・・できるだけ健康な状態で見送ってやりたいとの役職員一同の強い願いと思いの中で、処分までは毎日献身的な飼養管理に努めて・・・とあり、最後まで大事にされていたことが伝わってきました。生産者の方たちは各地におられ、残念であったと思われますが、実際に身近に、毎日種雄牛達と接してこられた事業団の方たちこそが、最も無念でならなかったことと思いました。

・・・宮崎牛の再建に向けて努力することが、私どもの供養と責務であると肝に命じております。再建には早期に種雄牛を造成することが大変重要であり、経験豊富な皆様方のお力添えが不可欠で、ご支援ご協力を賜ります。・・・とあり、・・・50頭の御霊に哀悼の誠を捧げ、ご冥福をお祈り申し上げます。・・・とくくられていました。

2頭とも種雄牛として一緒に並んではおりましたが、実際にはまだまだ。結果の出ていない試験交配段階で、まだまだ駆け出しだったのですが、あの「安平」や「福桜」、「福之国」、「忠富士」等と一緒に寝食共にしていたかと思うと、実際に種雄牛になっていたんだとあらためて実感するのでした。

そして、

実際に、殺処分されたことが、今回あらためて実感しました。

この、封筒が届いてから、このことを書こうかどうしようか悩んで、少しブログが止まってしまいました。でも、そういえば2頭のその後のことを書いていないなと思って、これを書いておかないと、と思って今回。

「福桜王」

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目の優しい、背の高い子。

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足が長いのが特徴でした。

「茂勝王」

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おっとりした感じで、人懐っこいのんびり屋。 

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決して大きくはないですが、首の太さは特徴でした。

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