昨年の今日、まだ種牛は生きていた。
昨年の今日、まだ種牛は生きていた。
事業団の肥育牛に見つかって、同一敷地内というくくりで、全て疑似患畜として判定された。
しかし、5/15に殺処分が決定されて以降、様々な要因が重なり、この5/23まで奇跡的に生き残っていた。
最後の望みと希望の光をつかむために、そして、みなさんのやりきれなさと、何とかしたいという気持ちを一つに表すため、「種雄牛を何とか守りたい(署名)」活動をスタートさせた。
その時の集中力は凄まじいものがあった。メールが秒単位で入ってきた。アクセスがケタ違いだった。ツイッターで拡散して行った。ブログのコメントにそれぞれの意見が飛び交った。署名用紙のJPGが有志によってPDFやWordやExcelに変換された。コンビニで署名用紙が取り出せた。FAXが鳴りやまなかった。・・・
この勢いなら、と思った。
« やくみ のセリ市 | トップページ | かずみ の出産2011 »
「口蹄疫」カテゴリの記事
- 宮崎県家畜改良事業団へ「安平王」を見に行く。(2017.04.03)
- 宮崎県家畜改良事業団 西米良種雄牛センターへ(2016.12.06)
- 口蹄疫から6年。(2016.04.20)
- BSE清浄国 と 口蹄疫清浄国(2013.05.30)
- 口蹄疫復興宝くじ発売、そして購入へ(2011.10.15)
そうかぁ、去年の今頃は皆生きてたんですよね…
この一年本当に大変でしたね。随分早かったような気もしますが、良くも悪くも時間は流れて行きます。先に進むより他ありませんね( ̄^ ̄)
楼には期待してます(>_<)
投稿: しげしげ | 2011年5月23日 (月) 23時41分
あの時、わたしも署名をさせていただいた一人です。
種牛たちが西都から帰ってきたというニュースを知ったとき、
心から「お帰り!」という気持ちが込み上げました。
そして、あの一刻の猶予も許さない緊迫した状況下で
大切に世話をされた飼育員の方々のご苦労も相当であっただろうと思いました。
生き抜いた命と、守り抜いてくれた人々に感謝の気持ちでいっぱいです。
投稿: ごんざれす | 2011年5月24日 (火) 08時30分
しげしげ さん
昨年の口蹄疫の中で、この5月末が最もつらかった時です。誰が予想したでしょうね、55頭が5頭になるなんて。それでも、残った5頭というのは奇跡的生還ですので、大事に育て上げないと。そして後継牛を創りださないといけないです。
楼も入れるかな、一員に。
投稿: kawabata | 2011年5月24日 (火) 22時15分
ごんざれす さん
署名のご協力感謝します。
無事、帰還した3頭には、ご苦労様でしたと。そして、世話をして下さった事業団の方々にありがとうと。
3頭帰ってくるまでに、一度埋却地に行ってみたかった気がします。もうきっと入れないでしょうから。
投稿: kawabata | 2011年5月24日 (火) 22時20分