カテゴリー「茂勝王」の12件の記事

2018年2月14日 (水)

たかもり 卒業2018年1月17日

「たかもり」 も我が家を卒業しました。

17年と長きに渡ってずっと支えてくれて、そして楽しませてくれた、我が家では「名牛」でした。

今回妊娠牛としてセリに出し、都城の繁殖・肥育一貫農家さんでのご購買となりました。

セリ結果
「たかもり552」号
血統、安福165の9×紋次郎×糸光◆
体重、639kg
平成12年7月9日産まれ、17才6ヶ月
産歴、14産、採卵1回
受胎、H29年8月20日付の耕富士
セリ値、537千円 でした。

こんな高値でのご購買頂き、ありがとうございました。

「たかもり」 は、私がこの仕事を始めた約10年前には我が家に来ていました。
H13年当時、地域で安福165の9がほしいと言う要望から、まとめて買ってきたのを皆で競って分けたそうです。そのうちの最も大きかったのが「たかもり」で、当時母が意地でも射止めたそうです。
大分ムリした模様w

ずーっと福桜を交配して生産してきて3産目の枝肉成績が出た際、9番の525.2kgという結果と、こちらでは見かけない特殊な血統であったことから、H19に基礎雌牛に認定されました。
それから立て続けに「福桜王」、「茂勝王」、「安平王」と種雄牛を生産する運びとなりました。
残念ながら、「福桜王」と「茂勝王」は、口蹄疫発生時に県家畜改良事業団にいましたので、デビュー直前で殺処分となり日の目を浴びずにお墓に入りました。

これ以外にも、採卵を「安秀165」で行い安福165の9×紋次郎をダブルで掛け合わせた種雄牛を畜産試験場で試みました。残念ながら増体が期待できずに断念しましたが、後継のメス牛は我が家にいます。
それと、「北茂勝96」での種雄牛も狙い、「北茂王」として直接検定まで行きましたが、これが種雄牛への道への最後でした。
以降、「茂勝」と「福桜」でメス後継を我が家に残し、昨年11月に「清福久」でメス後継を西都市の川越さんの元に届けることができました。

ズラズラと経歴を書きましたが、17年で14産して採卵を挟んでの連産です。ほぼ1年1産を達していると言う事は、この牛の最大の魅力だと思います。

特筆すべきは、「たかもり」の内臓の強さと、精神的な安定さだと思います。
日々変化する飼料にも柔軟に対応し繁殖も非常に安定していました。
その上、牛群の中でも、もともとボス気質で、売られたケンカは必ず買う荒々しい反面、目上の者や子牛たちにも優しく、何かプライドを感じる牛でしたね。
こういった安定感のある牛がいると、他の牛も落ち着くので助かっていましたね。

今回、高齢にもかかわらず妊娠牛としてセリに出しました。
いやいや、まだまだ頑張る、と言わんばかりに発情が来てましたので、これが最後と思い「耕富士」を付けてあげました。
もともと繁殖能力が強く、お産が上手で、お乳もよく出て、子育てもうまい、イイ母牛でした。
恐らく最後のお産となると思いましたが、いやいやまだまだ大丈夫と思いましたので、他の方に譲ろうと思いました。
この貴重な血を、購買者先でしっかり残してもらえたらと思います。

この「たかもり」と出会って、経済面でも十分貢献してくれましたし、何よりも種雄牛造成という一段上の楽しみも教えてもらいました。

いなくなると、何か物足りない感じですが、次で頑張ってくれてると思います。

「たかもり」いろいろとありがとう。


27751916_1006288506203260_594234559
何にしても温厚でしたね。



27972586_1006290842869693_627855708
左が「たかもり(安福165の9×紋次郎)」で、次のボスが右の「このみ(勝忠平×紋次郎)」。
意外にも母方の父は同じ紋次郎じいちゃんでした。



27973153_1006290879536356_321239260
背線はやや緩くなっていますが、四肢はしっかりしたものです。


27973481_1006290919536352_892929670
若干お腹周りがw


P1000466
平成20年当時、採卵に行くところ。やっぱ若いですね。
行った畜産試験場で、同室の同僚とケンカを始めるので、困った挙句個室をもらってました。
隣には余生を送っていた「きよふく(安平の母)」と並んでました。


27867600_1006299929535451_267717121
育種牛の認定。


28055998_1006299979535446_431445364
指定交配カード。育種価を見ると今では見劣りしますね。



P1020761
福桜王。残念。


P1020803
茂勝王。残念。


27750171_1006299959535448_163342656
「安平王」の授精カード。若い安平を付けてと選んだのがH5年。
安平の生年が平成元年ですので、4才時の種。若くて血気盛んな頃ですね。


27868102_1006300012868776_496562636
採卵前でも後でも、1年1産していく繁殖能力の高さが光りますね。
こんな成績、我が家には他はいません。
素晴らしいです。

2017年4月 3日 (月)

宮崎県家畜改良事業団へ「安平王」を見に行く。

久々に、県の家畜改良事業団へ行くことができました。

というのも、

H29年度で、「安平王」他数頭が廃用を迎えるということでしたので、ぜひ最後の姿を見せてほしいと、JAを通じてお願いした結果、今回実現しました。
それも、口蹄疫以降、関係者以外立入厳禁の厳重体制の所、見学等は全て排除されていて絶対に入れないと思っていましたので、大変恐縮しきりでした。
併せて、殺処分された「福桜王」、「茂勝王」の眠る慰霊碑にも、お参りしたいとお願いしていたのも、実現へ導いたものと思います。

当然、車は中には入れず。人だけ消毒ルームに案内され、手洗い、全身消毒を受けて、そして全身防護服を身に着けての入場でした。もちろん持ち物はスマホのみです。

通されたのは会議室で、窓際から芝生の張ったスペースが広がり、そこに 安平王 は出てきてました。

かれこれ6年ぶりに再会できました。まぁ立派になってること。
僅か8ヶ月程で分かれていますので、力強くなっていました。
というか、特徴が顕著になるんだなと思いました。
前駆が非常に強く、お尻が小さく、骨じまりがよくといったところ。
そして、外に出たのが嬉しかったのか、ちゅわんちゅわんしてましたw

実際には、ガラス窓は開けれない条件でしたので、ガラス越しでの対面です。
それでも、近くに来た時には、その息づかいや筋肉の動き、毛並み毛艶などもよく分かり、丁寧に、そして大事に管理されてるのがよく分かりました。

廃用は実に残念ですが、年間9頭ずつ新規の種雄牛が誕生し、ここ高鍋と西米良の種雄牛センターに入ってくるので、世代交代はやむを得ないですね。
ここ最近の異次元ともとれる検定成績を叩き出すルーキーに比べれば、なかなか思い切った成績が残せなかった「安平王」にとっては、今までここ高鍋で暮らせたことは名誉なことだったことと思います。

5日には廃用ということでしたので、最後の雄姿を見せて頂いて大変嬉しかったです。
今まで、大事に育てて頂いて、関係者の皆さま、ありがとうございました。



それと、今回殺処分になった種雄牛達の慰霊碑にもお参りしました。

場所は、場外の北東部に位置していました。
場外ですので、普通に行くことができるそうです。

こんもりと盛り上げられたその一角は、芝生で覆われ手入れが行き届いていて丘のようなところ。
その手前に、慰霊碑が設置されていました。
中には49頭の種雄牛達と、その汚染物等が、相当な深さで埋められているそうです。

・・・6頭避難・・・うち忠富士が・・・発熱したのがいる・・・全頭殺処分指示・・・反対署名・・・まだか・・・
正にあの現場ですね。今でも足が震える感じが蘇ってきます。

「福桜王」「茂勝王」そしてあの「安平」もここで眠っているそうです。
49頭が安らかに眠ってほしいですね。

慰霊碑の前には、ビー玉が散りばめられてコンクリートに埋められて、光を放っていました。施工した工事の方が作られたそうです。それも50個。
「忠富士」も場所こそ違えど、気持ちは同じココ慰霊碑に埋葬されているそうです。
この話を聞いて、ちょっと気持ちが落ち着きました。

お参りしただけですが、長らく気にかかっていた所でしたので、安心しました。


これで、種雄牛の誕生から終了まで携われることができました。
種雄牛の最後を見に来られる方は無く、人知れず廃用になっていくそうですので、今回最後の雄姿まで見れ、そして慰霊碑も見れて、大変充実しました。

「福桜王」「茂勝王」「安平王」に携われた関係者の皆さま、大変ありがとうございました。


因みに、本日、育成の「みくの1(華春福×百合茂)」に「安平王」を付けました。


Photo
いざ事業団へ


2
ガラス越しの 安平王

3
元気そうでした。


4
少し離れていますので写真は難しいですが、特徴がよく分かりますし筋肉の付き方骨具合も分かりますね。


5
6
福桜王

7
茂勝王

8
忠富士



9
英雄たちの慰霊碑

10
11
12
13
レジェンドもいますね。



14
慰霊碑

15
16
17
50個のビー玉が光ってますね。

Photo_2
口蹄疫殺処分の慰霊碑へは、事業団の敷地外の東端の道から行けます。
制限は無いそうですので、いつでも行けるそうです。


18
たかもり、H12年産まれ、王達の母牛。清福久のメスを先日逆子で産んでなんとか無事でした。
もう今年で最後かなと。

2013年3月 8日 (金)

「茂勝王」の現場後代検定の結果が出ました。

茂勝王の後代検定の結果が出ました。

茂勝王はH19.12.6に生まれ、種雄牛候補として買われ、直接検定の後、正式に種雄牛として登録された。しかし、事業団に入った直後に口蹄疫が猛威をふるい、事業団内で、疑似患畜として殺処分されました。無念!
P1050119
その間、試験交配がスタートしていたため、各地でお腹に宿していた子たちが生まれ、今回、現場後代検定として肥育され、その結果が出た。要は、茂勝王の産肉能力の判定でした。
詳細は、牛wikiに載せます。暫くお待ちください。
結果は、去勢14頭、枝重486kg、ロース芯65.4cm2、バラ厚7.3cm、皮下脂肪厚2.5cm、歩留基準74.5、BMS6.1、A-4,5率71.4% でした。
特別飛びぬけているものもいなく、崩れているものもいない。ほぼ平均的なまとまった感じです。BMSも10以上はいませんが、3以下もいない。ロースも、54-78cm、バラ6.3-8.3cmだった。やや惜しいのが、モモ抜けで、2頭はよく抜けていたが、他はイマイチ。
全体的に小ザシ基調で、体長があったが、厚みに欠けた、という評価です。また、詳細には事業団又はJA等から正式にアナウンスがあると思います。
だからと言って、ストローの供用が無いのが、実に残念なところですね。
また、今度は来月以降にメスの検定結果も出る予定なので、そちらもチェックしておきたいと思います。

さあ、これにて結果が一応出た。茂勝王自体は何もないが、直接検定後保留となっている、北茂王が気になるところ。今日の結果を待って、4月26日の検定委員会で判定されるという。ちょっと微妙な空気になってきているのは、気のせいでしょうか。でも、期待しましょう。・・・、と自分に言い聞かしています。
そう思うと、福桜王は、やっぱり良かったんだと、つくづく思う。
(お礼)
試験交配にご協力いただいた、各方面関係者さま、ならびに繁殖農家の皆さま、大変ありがとうございました。おかげさまで、素晴らしい成績を残すことができました。お礼申し上げます。

2010年9月 7日 (火)

種雄牛だった、「福桜王」 と 「茂勝王」

口蹄疫終息宣言がなされた数日後、一通の封筒が届いた。宮崎県家畜改良事業団からだった。中身は、挨拶文と、在りし日の2頭の写真だった。

挨拶文には、殺処分に至った経緯と、その殺処分までの間、・・・できるだけ健康な状態で見送ってやりたいとの役職員一同の強い願いと思いの中で、処分までは毎日献身的な飼養管理に努めて・・・とあり、最後まで大事にされていたことが伝わってきました。生産者の方たちは各地におられ、残念であったと思われますが、実際に身近に、毎日種雄牛達と接してこられた事業団の方たちこそが、最も無念でならなかったことと思いました。

・・・宮崎牛の再建に向けて努力することが、私どもの供養と責務であると肝に命じております。再建には早期に種雄牛を造成することが大変重要であり、経験豊富な皆様方のお力添えが不可欠で、ご支援ご協力を賜ります。・・・とあり、・・・50頭の御霊に哀悼の誠を捧げ、ご冥福をお祈り申し上げます。・・・とくくられていました。

2頭とも種雄牛として一緒に並んではおりましたが、実際にはまだまだ。結果の出ていない試験交配段階で、まだまだ駆け出しだったのですが、あの「安平」や「福桜」、「福之国」、「忠富士」等と一緒に寝食共にしていたかと思うと、実際に種雄牛になっていたんだとあらためて実感するのでした。

そして、

実際に、殺処分されたことが、今回あらためて実感しました。

この、封筒が届いてから、このことを書こうかどうしようか悩んで、少しブログが止まってしまいました。でも、そういえば2頭のその後のことを書いていないなと思って、これを書いておかないと、と思って今回。

「福桜王」

P10501162

目の優しい、背の高い子。

P1050117

足が長いのが特徴でした。

「茂勝王」

P10501182

おっとりした感じで、人懐っこいのんびり屋。 

P1050119

決して大きくはないですが、首の太さは特徴でした。

2010年5月23日 (日)

福桜王、茂勝王、種雄牛への道、口蹄疫撲滅!

我が家から種雄牛(種牛)が誕生した様子です。「福桜王」と「茂勝王」の2頭です。殺処分される寸前の49頭に入っています。ここで口蹄疫に侵されて途絶えてしまうのはあまりにも惜しい。

誕生までの様子をまとめてみました。やっぱり時間がかかりますね。

「福桜王の様子」

種牛かも(珀)

http://usi-cow.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2951.html

遺伝検査

http://usi-cow.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_0c1e.html

2回目検査です

http://usi-cow.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_4168.html

最終検査です

http://usi-cow.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_6b53.html

福桜王として誕生!

http://usi-cow.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_897c.html

直接検定中

http://usi-cow.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-ab48.html

「茂勝王」の様子

茂勝王(睦)の誕生

http://usi-cow.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-5f64.html

初回検査

http://usi-cow.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-400e.html

2回目検査

http://usi-cow.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-446a.html

3回目検査

http://usi-cow.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-2047.html

茂勝王誕生

http://usi-cow.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-b6c5.html

事業団で2頭そろって種雄牛に並んでます

http://usi-cow.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-9829.html

2010年5月16日 (日)

種雄牛にまで

とうとう口蹄疫が、種雄牛にまできた。

5/16今朝の新聞に全頭処分の方向と。

宮崎の和牛が変わろうとしている。

福桜王も、茂勝王も無念じゃ。

2009年9月13日 (日)

茂勝王(睦) 種牛への道5、福桜王も

種牛見学に行きました。睦も種牛になっていました。

先日、近所の和牛グループで宮崎県の家畜改良事業団種雄牛センターへ行きました。普段皆が使っている種牛の本牛を見に行くため。いつもよく見る名前の牛たちが個室に入ってこの地に集合していました。900kgを超える牛や、名牛「安平」20歳など勢ぞろい。いましたその中に、茂勝王(睦)も。3月に連れて行かれた後、増体試験の結果良好だったのと、血統がいいようで、落選することなく県の種牛の一員になってこの地に来ていました。まだまだ仕事をするには早いですが順調にここまで来たことが大変うれしい限りですね。

P10205888月の試験中の睦。ちょっと小柄ですが、3月の出て行く時から比べるとぜんぜん!P1020804今回見学の睦、ちょっと恥ずかしげにこの様子。まだ来たばかりなもので。

忘れてならないのが福桜王(珀)ですが、いました彼も。珀は試験の種が4月には出回っていて、「福桜王」をつけたよ、って何人かの方が言ってくれていました。結果が出るにはまだまだですが、順調なようで、現在も成長を続けているようです。現在の基幹種雄牛の隣に陣取っていました。それも結構びっくりでした。相変わらず優しい目をしたおとなしい感じでした。

P1020764珀は落ち着いたもので、エサを食べたり、人間観察したり。

P1020762撫でられてる珀。明らかにおっきくなってる、148cm、620kgだって。

2009年3月 5日 (木)

睦 種牛への道4

3月5日、とうとう買われて行きました。

6ヵ月齢を待たずして出ていくことになりました。大変な出世です。といっても、睦は珀の時とは違って、はじめから種が決まっていたので、生まれた時から出世街道が決まっていたようなもの。でも途中の検査に合格していることもありますし、なにより雄であったことは何か運命を感じてしまいます。今朝も何も知らずに一生懸命にえさを食べていました。食べ終わったのを見て、ぼちぼち手入れをしていると、近所の和牛の生産者の方たちが続々と見送りに集まってきて下さいました。総勢20名、皆で睦の祈願を行って、盛大な見送りの中出発しました。受け入れする事業団では、これまた多数の審査員の方たちに囲まれてしまいました。いろいろ触られ、計測されと睦も慣れない車での運搬とつなぎっぱなしに、いやいやをして落ち着かない様子でした。今回は1頭だけの受け入れでさびしいもので、次の4月の受け入れメンバーと一緒に増体試験を開始するそうです。試験は4月~8月でお盆のころに試験結果が分かるとか。結果が出るまでは心配ですね。今まで我が家では狭いところで体をくっつけあって寝てたり、小突きあったり、エサの取り合いをしたりと皆が周りにいましたが、今日からは今までの3倍くらい広い個室に1頭で過ごすことになるのでさびしいことでしょう。夜中に逃げ出さなければいいですが。また、今回種牛用の名前がつきました。「 茂勝王 」といいます。

ちなみに、この事業団のすぐ隣に試験場があって、母親である「たかもり」を見に行きました。お互いこんなに近い所にいるとは思ってもみないことでしょう。なにか「母を訪ねて・・・」みたいな感じになっていて、近日再会!こうご期待・・ と言ってしまいそう。そのたかもりは一生懸命食べていて元気そうでした。職員の方の話によると、気が強いらしく他の牛と一緒にしているとえらいことになるらしいです。そんなのがいた我が家の牛たちは皆仲よくしていたけど、荒くれ者の集団だったりして。そこでびっくりしたのは、そのたかもりの隣の部屋で食べていたのが「きよふく」という宮崎の種牛の「安平」をはじめ数々の種牛を輩出した母牛でした。昭和61年生まれで元気に食べていたのですが、それと肩を並べるようなところで今暮らしているのをみて、なにかたかもりに対する期待感みたいなものを感じました。たかもり家は家族総出で宮崎県の為に仕事をしていました。とりあえず元気そうでなにより。

P1000920数日前の毛刈りの様子。

P1000960祈願中、いい牛になりますように!

P1000967みんなで送り出し。うれしいですね。

P1000969ここはどこ? おどおど

P1000974全国和牛登録協会の会長さんだそうです。宮崎にいらしていて、たまたま今回立ち会っておられました。偶然というよりは、何か運命みたいなものを感じるなぁ。

P1000975たかもり食べる食べる。何か食べ物も部屋もVIP待遇な感じ。もう帰ってこないかも、いやいやして。

2009年2月23日 (月)

睦 種牛への道3

最終検査がありました。いよいよ

睦の最終検査をしたいと連絡があった。最終の!どうやら年度の最終予算に滑り込みさせたいという事らしく、3月5日という日が提示され、時期もかなりの繰り上げとなった。珀の時は8月生まれの4月買い上げなので8ヵ月齢でしたが、睦は9月生まれの3月で6ヵ月齢となります。またいつものように事業団の方とJAのメンバーで訪れていつものように検査して、この血統ならこの体格はいい方だということで、正式に連れていくことをおっしゃっていました。我が家としては早く出ていくことは少し物足りなさを感じるのですが、エサ代という経費もかからなくなるのと、何といっても気を使わなくてよくなるので大助かりです。(金額的にも結構いい値で買ってもらえて補助金も出るので割のいい話です。)なにより最近は我が物顔で、エサ箱の中のものは全部自分のものだーと独り占めして、はるひ、あかつき、空なんかは狭いところで頭三つ並べて食べる始末。牛舎も狭いので、とっとと出て行ってもらい、種牛に向けて頑張ってもらいましょう。

珀こと福桜王もいよいよで、4月には試験交配を開始するとのことで、我が家にも種付けする牛を用意しておくように言われました。そう言われてみればいました、適牛が!ゆうことふたば。4月生まれの2頭とも発情がきだしており、12~13ヵ月齢で初回の種付けをするので、まさしく用意してしておきましたという感じ。事業団の人に、いいタイミングで買っているわと。我が家から輩出した種牛なので率先してつけておかないとね。

P1000866またあんたたちかよー

2009年1月13日 (火)

睦 種牛への道2

睦の2回目の検査がありました。

今日1/13に、睦の2回目の検査がありました。前回、毛を抜かれて遺伝病の検査に出した結果、合格だったようで、今回の検査になったようです。結果を聞かされて大きな関門を突破した感じです。今日は背丈や他の体の状態や写真を撮ったりしていました。状態は順調だということで、今のままでいいですと。もう最後の買い上げの時期は4月ごろでしょうとの話までありました。もう途中下車も無さそうな感じなので、あとは病気をさせないようにしないといけないですね。そろそろ睦も芸名をつけないと・・・。

P10007022 前回から比べると格段に成長している。

P1000301前回の睦

より以前の記事一覧

2022年11月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

GoogleAdsence

  • GoogleAdsence
無料ブログはココログ